『鈴なり星』の雑記

こちらは『鈴なり星』の平安時代物語や創作小説以外のブログです

『古今黄金譚』


「古今黄金譚 林望著 平凡社新書¥680」

『汚く臭く見たくもないもの』として隠されてしまう糞尿。しかし、化学肥料が出来る以前はこの糞尿しか農作物の実りを約束してくれるものがなかったわけで、
「不浄だけど、豊作をもたらすありがたく神聖なもの」
という相反する表裏一体の存在、それが糞尿。面白おかしくウンコとオシッコの逸話を紹介するのでなく、糞尿話の背後に古代のどのような思想があったのかを考える、愉快で真面目な本です。

糞尿話として必ず採り上げられるのが『落窪物語』と『平中物語』。どちらも平安文学になじんだ人には今さらですが、平中の中の一話『本院侍従等の事』は「不浄と神聖さは表裏一体」という思想のアブノーマル版。天女のような美しい女の超不浄なるものを見てみたい…平中の心の葛藤は、
「どんな美男美女も一皮剥けばただのクソ袋。色事とはそういったクソ袋とつるんでいるに過ぎない。だからゆめゆめ色事(=煩悩)に惑わされてはいけない」
という仏教の戒めを具現化したような話。

落窪は著者によると、従来の訳はかなりお上品な表現の訳だということで、実際はもっとえげつないニュアンスの訳でもかまわないそうです。
主人公の姫のいる部屋の落窪という名称も、
「母屋のはずれのさらに向こうの、一段ひくくなった土間のような所」
という普通の表現より、
「くぼ、という女性性器を表すような言葉で表現される、粗末で最悪な便器置き場の部屋に長年住まわされていた」
という解釈で良し。落窪姫は便器置き場の姫だったのです。うーん、何て気の毒な姫さま、この部屋から一歩も出られずに10年余りも。これで継母の底意地の悪さやいじめっぷりが5割り増し。
そんな苦難を乗り越え、前述した「不浄と神聖さは表裏一体」の通り、ラストでは180度の転回で幸せになるのです。

もともと高貴であり神聖なものが不浄なるところへ落とされ、後に幸福になる物語は他にもいくつか紹介されています。
鉢かづき姫』では、鉢そのものが不浄の対象ですが、この苦難の象徴だった鉢が後に奇瑞を見せ、冷遇されつづけていた姫が幸せになります。
竹取物語』では、天上界から汚れた地上へ落とされた月世界の姫の話。不浄の対象は「汚れた地上」そのもの。『一寸法師』の不浄の対象は「一寸の体」。どれもこれも、前述のとおり不浄と神聖さは表裏一体で、主人公たちは不浄なものによって守られ、不浄なものが起こす奇跡によって幸福になるのです。