『鈴なり星』の雑記

こちらは『鈴なり星』の平安時代物語や創作小説以外のブログです

金峯山寺を歩きました

先週10月30日、修験道の本山と言われる吉野の金峯山寺に行ってきました。
桜の季節でも紅葉の季節でもない吉野の観光客は人少なで超余裕。
とはいえ登りのロープウェイは混み込みでした。

東大寺の大仏を作った余りで作られたと言われる銅の鳥居をくぐり、


修理中の仁王門(でも普通に通れます)をくぐり、


見えてきたのが東大寺大仏殿に次ぐ規模の木造建築、本堂蔵王堂。
檜皮葺屋根がとても美しいです。


大きくて写真に入りきらない。圧倒されそうな重厚さです。


本堂両脇に据え付けてある水受け?正式名称がちょっとわからないですが、チューリップ型で可愛い。


到着して蔵王堂の中に入り、ご開帳中の蔵王権現様三体を拝みます。
なんかもう、額をこすり付けるくらい何度もひれ伏してしまいました。


戴いたパンフレットを撮影したものですが、なんとまあ迫力のあるお姿。
素晴らしく美しい濃青色の権現様三体です。
その蔵王権現様たちに、6m7m超の高さから憤怒のお顔で見下ろされているのです。
これは身がすくむわ…昔から皆ここで自らの悪行を懺悔して慈悲を乞うてきたのだと思うと、優しい癒しとは真反対の気持ちに身が引き締まります。

タイミングよく読経が始まっていてすごくラッキーでした。
ドンドンドンと響く太鼓の音。
暗い中パチパチと燃える炎。
ただようお香の良い香り。
読経を唱える二人の僧。
二つの声が調和して音楽のようです。ええ声や~。
後ろでそれらを眺めていると、頭の中がボーっと麻痺するというか、読経を全身で味わってる気分。読経のシャワーのようで気持ちいい~。

本堂出てすぐ左側に目を向けると、看板に脳天大神龍王院まで
『階段450段』
と書いてあります。
450段…降りてお参りしたとしてもまた上がって来ないと帰れない。
往復900段超の石段地獄。行ってみたいけど帰って来れる自信ない。
試しに現在地からすぐの階段下にある南朝妙法殿に行ってみることにしました。
てか最初これが脳天大神かなとか思ってたし。

 


南朝妙法殿、吉野朝宮址です。後醍醐天皇はこんな山奥を南朝皇居として政治を執ろうとしていたのかと思うと、こころざしの大きさとささやか過ぎる皇居のギャップに胸が詰まりそうでした。実際は南朝方についた修験者の潜在的なネットワークは広範囲にわたり相当強いものだったらしいです。

本堂に戻るのに今来た階段のたった50段ほどを上がっただけで、脳天大神までの石段地獄450段の往復は不可能と速攻判断しました。情けない笑。

脳天大神はあきらめましたが、山の上の寺院は本当に気持ちいいです。

 


目線のあたりに山の稜線が見えるし雲が近い。奈良盆地住みにとっては別世界の気持ちよさ。

この地に藤原道長はやって来て、水分神社で子宝祈願し、金峯山寺山上ヶ岳大峯山寺まで修験者ルートを縦走しています。宇多法皇白河法皇鳥羽院藤原道兼などの皇族貴族らも同ルートを参詣しています。京の都で、長距離歩くような生活なんて絶対していない皇族貴族のどこに修験者の道を歩く体力があったんかと首をかしげるばかりですが、事実は事実。金峯山寺は標高約300m、ここから山岳コースの修験道を20数㎞、標高1700mの山上ヶ岳にある大峯山寺までおそらく皆歩いています。
「吉野なる銅の鳥居に手をかけて弥陀の浄土に入るぞうれしき」と唱え、皆あの銅の鳥居の結界をくぐって霊地の彼方を目指して行ったのかと思うと、吉野山は人々が憧れてやまない神秘の山、神々の宿る霊山なんだなあと感慨深いものがあります。

帰りはロープウェイを使わずに七曲坂を下って帰ることにしました。

木々の葉が落ちて梢のヤドリギも目立ちます。可愛い。


七曲坂。桜の時期は人があふれてるらしいけど、今はほとんど見当たりません。


紅葉はまだまだ先のようです。モミジは青々。


山の上の桜の木々は紅葉が始まっていました。ヤマザクラの桜紅葉が日に輝いてとてもきれいでした。くすんでいるのは撮影者の自分が下手なせいです。


戴いた御朱印
流麗な墨字、ハンコの梵字が凄くかっこいい!