『鈴なり星』の雑記

こちらは『鈴なり星』の平安時代物語や創作小説以外のブログです

古典に見る野菜・セリ


平安文学主要作品に現れる野菜の名前といえば、ダントツ一位なのが『若菜』。
もちろん『若菜・春菜』は野菜の固有名じゃなく、早春に生えて食用になる菜っぱの総称です。語感もよろしく和歌に詠みやすいし、儀礼食としてとてもめでたいもの。
では次に記載回数の多い野菜の名は?
『古典文学と野菜 広瀬忠彦著 東方出版』によると、

記載回数1位・若菜
  〃  2位・セリ
  〃  3位・ワラビ

以下、ヤマノイモジュンサイ・マクワウリ・タケノコ…と続きます。
古事記閑吟集までの主要作品・著者調べ)

出典頻度2位のセリについて。

セリは古くは『日本書紀』にも登場する、アジアに広く分布する多年草。どこにでも野生している雑草のような食用草で、庶民の野菜の代表格。

古典に見られる「セリ」の意味は?

1.庶民向けの安いの野菜なので、粗品(=人に物を贈るときの謙譲語)という意味

2.「粗品」から、誠意をもって努めても報われない、という意味へ

例として、『献芹(けんきん)』という故事を紹介。

…宮中で下っ端役人が庭掃除していたとき、急に強い風が吹いて貴人のいる御簾を吹き上げた。中では皇后が食事中。セリのようなものを食べておられるのを役人は見た。皇后の美しさに恋心を募らせた役人は、何とかして今一度お見かけしたいと思ったが、むろん叶わぬ願い。役人は皇后が食べていたセリを思い出し、セリを摘んでは皇后がいらした御簾のあたりに置き続けた。しかし何年経っても願いが叶うはずもなく、そのうち役人は恋の病から本当の病になった。いよいよ死ぬという時、
『もの思いの果てに死ぬ私を哀れと思って、セリを摘んで供養しておくれ』
と身内に遺言して死んだ。
この役人の娘が宮中の女官をしていて、娘が話していたのをお聞きになった皇后が、
「そういえば昔セリを食べていた時、誰かが見ていたような気がする」
と役人を哀れに思い、その女官を常にそばに召して親切にしてやったという。
その皇后こそ嵯峨帝皇后・嘉智子である。
(『俊頼髄脳』より)

この故事の他、古歌にも、

芹つみしむかしの人も我ごとや心に物はかなわざりけむ
(セリを摘んで贈った昔の人も、この私のように願いが叶わなかったのだろう)

など、不満不遇を嘆く歌があります。
当時作品の中に「芹つむ」という例えがでていれば、「誠意をもってしても報われない思い」を示すことわざだと判断すればよいということです。

幾ちたび水の田芹をつみしかは思ひしことのつゆもかなはぬ(更級日記

…御簾のもとにあつまり出でて見たてまつるをりなどは、わが身に「芹摘みし」などおぼゆる事こそなけれ(枕草子


3.どこにでも野生して、最低限喰える雑草だから、「極貧の生活の象徴」として
  使われた

…かた足なき身となって、山にのぼっては木の実を拾い、春は沢の根芹を摘み、秋は田づらのおち穂拾ひなんどしてぞ、露の命を過しける(平家物語・蘇武)

…風をふせぐたよりもなく、雨をもらさぬわざもなし。やどにくもらぬ月星を、涙に浮かべ、野べの若菜、沢の根芹をつみてこそ、つゆの命をばすぐしけれ(平家物語・小宰相身投)

根芹は野生のセリとその根のこと。根も食べる、という意味から、さらなる窮乏生活・飢餓状態を表現する場合によく使われたそうです。


セリに非常によく似た雑草で、『ドクゼリ』があります。

…小さな若葉がちょろちょろ出てくる春先はセリと勘違いされるかもしれない。
しかし、水の中にある根はセリよりずっと太く、タテに割ると中はタケノコのように空洞になっていて、あいだにいくつもの節があり、黄色っぽい汁をにじませている…
(『毒草を食べてみた 植松黎著 文春新書 ¥690』より)

どうやらこの根を野生の生ワサビと間違えることがあるとか。
根だけでなく、全草に毒が含まれています。しかもセリもドクゼリも植生環境も一緒。
毒成分はシクトキシンというケイレン性の神経毒。ワサビ状にすりおろした新鮮な根の場合、大人なら小さじ一杯程度(6g)で窒息死。こわー。