『平安京のニオイ 安田政彦著
吉川弘文館¥1700』
”人が暮らせば必ず生じる生活臭。
平安一の人口密度を誇る京のミヤコはどのようなニオイがしていたのだろう”
確かに気になる。芸術の域にまで達した優雅な薫香の文化は、文献豊富で枚挙にいとまがありませんが、生活臭となるとあまりに日常的過ぎて、日記などの記録に留められるはまずありませんでした。かえって悪臭の方が、災害や穢れ関連などで記録に留められる可能性があったようです。
排泄臭や廃棄物臭などは身の回りからできるだけ遠ざけようとする、現代の清潔志向の日本人。もしそんな日本人が平安京の朱雀大路や鴨川の川べりにタイムワープしたりなんかしちゃったらどうなるんでしょう。『テルマエロマエ』で現代日本の風呂屋から飛び出した古代人ルシウスが、道行くトラックの排気ガスに悶絶していましたが、同じように、大路の隅に積まれた糞尿や川のよどみに浮いてる色んなモノの悪臭に悶絶するのかもしれません。
平安時代といえば薫香文化ですが、この本を読んでいると、かぐわしい薫物の香りなどは、貴族の屋敷の母屋やら対の屋などの本当に限られた狭い空間だけの話で、特権階級の住む狭い空間から一歩外に出れば、廃棄物臭がそこはかとなく漂う世界が広がっていた時代だったのです。
悪臭も日常となれば気にならなくなるとはいえ、やはりできるだけ遠ざけた生活をしたいもの。著者は京都の真夏の気象を調査し、夏場の京は東からの風向きが大変多いことから、有力貴族は遺体が遺棄されることの多かった鴨川の悪臭が漂ってこない風上へ、都大路の廃棄物臭が漂ってこない風上へと居住区を広げ、ミヤコの一等居住区が北東地域に発展していったのは、そうした悪臭の拡散しない風上区域を求めた結果ではないか、と推測しています。
すごく的を得た意見だと思います。