『鈴なり星』の雑記

こちらは『鈴なり星』の平安時代物語や創作小説以外のブログです

おもてなしを強要!中世の接待

昨日(4/11)の朝日新聞土曜日版のコラム『歴史学』がとても興味深かったので紹介。


『呉座勇一の交流の歴史学』より「中世の接待」

日本の接待の歴史は古い。
古代には「供給(たてまつりもの)」という接待があった。これは、新任国司が任国に下った時に、下僚となる現地の官人たちが行う接待である。

まずは国境にて官人たちが国司を出迎える時に開く歓迎の宴「境迎(さかむかえ)」。酒迎とも書く。国司国府に到着すると「落付(おちつき)」という本格的な歓迎会が三日三晩行われた。地方官人が中央官人をもてなすのだから、文字通りの「官官接待」である。

中世に入り荘園が全国に広がると、耕作の指導や耕地の調査・年貢の徴収のために、国司が使者や代官を年に数回荘園に派遣する。この場合にもその都度接待が行われ、特に代官の赴任には三日三晩の盛大な宴会が催された。荘園によっては赴任時以外にも三日三晩の手厚い接待もあった。
宴会が終わったあとも、代官が荘園に滞在している間は通常の宴会が行われた。宴会費はもちろん、燃料費から馬のエサ代、引き出物などの諸雑費すべて荘園の百姓たちが負担した。

これらの慣例を使者や代官が悪用することもあった。
地頭の代官ら一行が何十人も村に押しかけて、
「年貢を完納しない限り、何十日でも居続ける」と脅迫して居座り、宴会を強要した。


こうした接待は、外部からの来訪者を神とみなし、共同体が宿や食事を提供する歓待儀礼なるものが起源となっているのではないか。。。と締めくくられています。


これら一連の接待事情は何も中世にかぎったことじゃなく、平安時代にも十分通用する話だと思いますね。今昔物語などの各種文献にもあこぎな国司はあちこちに見られるし、もてなされて当然、タカリまくってどこが悪い、と最初から蓄財目的で赴任する国司たちは普通にいたでしょうね。