『鈴なり星』の雑記

こちらは『鈴なり星』の平安時代物語や創作小説以外のブログです

『死者のゆくえ』


『死者のゆくえ 佐藤弘夫著 岩田書院¥2800』

図書館から借りた民俗学系の本。日本人の死生観について詳しく書かれています。
お墓と葬儀の歴史、日本人の考えていた死者の国や彼岸について。古代から中世までが主な対象です。

まもなくお彼岸がやってきますが、生者の我々が親しかった人々の遺骨が眠るお墓を訪ねて水や花を手向け祈りをささげる習慣は、大昔から連綿と続いている習慣ではなくて、平安中期くらいまでは特定の葬地(無常所)に運ばれた後、犬やカラスに喰われるままに捨て置かれていました。
もちろん定期的な墓参りが行われるはずもなく、死後の故人の体や骨にはほとんど関心がなかったといいます。
大事なのは、体から離れた後の霊魂のゆくえ。太古の人々は、イザナミのいる黄泉の国にイザナギが徒歩で向かったように、現世の世界の続きの場所に死者の国があったと考えていたようです。死者の霊魂が現世の人たちの手の届かない所(天国とかいわゆる彼岸)に行ってしまうという発想はなくて、山の頂に留まって霊魂なりの生活をして子孫を見守ってくれて、時々(お盆)にこっちを訪ねてくる、いわゆる霊山信仰説を信じていました。あとは地元のちょっと離れた島とか、坂の向こうとか。

その後大陸から仏教が入ってきて、とうとう日本も仏教やキリスト教イスラム教などのような、死後霊魂は別次元の遠い異界にある極楽地獄(彼岸)へとゆくという観念が生まれるかと思いきや、そういった発想にならずに、「死後の異界って、十万億土のおおげさな彼方じゃなくて、地獄も極楽も山の中にある」という山中他界説が生まれます。そういえば小野篁も日帰りだし、左大臣源融は地獄の責め苦を受ける息ヌキに、河原院で休憩しているんでしたっけ。

では一般人ではない、天皇のケースはというと、別格の力を持った天皇の霊魂を守護神として古墳に留めさせようとしたのか、あるいは強力な霊力が悪霊にならないよう古墳に封じ込めさせようとしたのか、まだまだはっきりとわかっていないそうです。

死んだ後の体にも骨にもまったく関心を持たなかった古代の人に比べ、現代の日本人は世界の中でも遺骨を特に大切にする民族であるといわれます。
歴史の中のどのあたりから遺骨へこだわるようになったのか。それは、死者の国が徒歩で行き帰りできるような身近な場所にはなく、遠い異界の彼岸=浄土にあるという思想が広がり始めてからだといいます。平安中期から徐々に浸透し、院政期には浄土思想が現世思想を逆転したそうな。
末法の世に生まれた平安~中世人が浄土往生するにはどうしたらいいか。その一つの方法として提唱されたのが、

「仏さまが衆生救済のために末法辺土に使わした、仏の化身やアイテム(仏像とか聖人の骨とか)が納められている霊験地に参詣したり、死んだ後の骨を納骨すれば、浄土往生できる」

というもの。
ここらあたりから、神社や寺院が信者獲得のための涙ぐましい布教の努力が見え隠れし始めます。
寺院も神社も自分トコの流派を発展させるのに必死です。

フィールドワーク重視の、すごく丁寧に研究されている姿勢を感じる、まじめに面白い本でした。

あと、餓鬼草紙について。

本の表紙にも餓鬼草紙の一つのシーンが使用されています。腹の膨れ上がった餓鬼が、往来で堂々と排泄する人のブツを狙ってるものなどはあまりにも有名です。この本の表紙には、中世前期、ほぼ平安後期だと思いますが、その時代の共同墓地の光景が使われています。
東京国立博物館の公式サイトから転載。

それがコレ↓ 


じっくり見ると、当時の風俗がよーくわかって興味深いです。
土饅頭の塚。石を積み上げた壇上には五輪の塔。卒塔婆。さまよう餓鬼。
画面の真ん中辺りには、ムシロの上に裸で放置された女。向こうには男。棺のような木製の箱に入れられている遺体。それを喰いあさる野犬。全裸で放置するのが当時の習慣だったのか、葬送に携わった人間に衣服を剥ぎ取ってもよいという権利(衣服は金になるから)でもあったのか。
顔のそばに、かわらけのような器が置かれてあることから、何かの葬送儀礼があったのか。
このように極めてぞんざいに扱われた遺体ですが、檀をしつらえて五輪塔を設置したり、木製の卒塔婆が見えることから、埋葬されないむき出しの遺体たちが腐臭を撒き散らす墓地でも、経済的な余裕次第ではとりあえずこんな葬送もできた、ということです。