『鈴なり星』の雑記

こちらは『鈴なり星』の平安時代物語や創作小説以外のブログです

『源氏物語への招待』

 


源氏物語への招待 今井源衛
        小学館¥2200』
ホームセンターの店頭で「鉄道忘れ物展」やってたときに見つけた本。200円で購入。

光源氏の人間像、紫式部の生涯、宮廷女性たちの恋愛、物語のユーモア、文章表現の技巧…、あまたの問題を整理し、さまざまな視点から源氏物語の魅力を探る』←オビ文

ビニールがけで中身チェックはできないものの、シンプルな装丁から正統派の源氏評論本だと推定。著者の今井氏はあの『我が身にたどる姫君』の現代語訳者だし、何より2200円がたったの200円。難しすぎてハズレの本でも後悔しない値段。近鉄のどっかの線でこの本を忘れた人ありがとう!と感謝しつつ購入しました。とてもおもしろい本でした。
以下の章段で構成。

・物語の時代設定
・ユーモアの諸相
・引歌引詩の技法
・愛のかたち~「もののまぎれ」の実体
・宮廷行事の役割
・蛍巻の物語論
・女三の宮物語の発端
・雲隠巻の謎
・宇治の大君の死
・従者たちの役割
・夢浮橋巻の結末


興味深く読めた章段をいくつか紹介。

・物語の時代設定

延喜天暦が聖代視されている理由と、物語背景がその延喜天暦に設定されている説についての考察。醍醐天皇が人間的に大変聡明だったこと、天皇親政が一時的に復活したこと、文化事業を推進できる余裕が政治にあったことなど、聖代視の候補があげられていますが、いつの時代も放火や事件や飢えは絶えなかったし、政治家だってそれほど有能な人材豊富だったわけじゃない。左大臣実頼と右大臣師輔もずーっと仲が悪かった。ナニコレ現与党そっくり。一般庶民の嘆きがわかる気がする。なのになぜ聖代なのか。著者によると答えはいたってカンタン。

「だって今よりマシ、と一条朝の知識人が申しておりますから」

末法の暗い時代に突入したと思っている、冷泉朝および紫式部の時代の一条朝の知識人ら(代表は実資・匡衡)にとって、前代がとても明るく思えたらしい。例えば「バブルまではよかったよなー」みたいな。
そう考えれば「延喜天暦聖代視=今(一条朝)よりマシ」説も説得力あるようなww

ではどうして式部は延喜天暦に物語の時代を設定したのか。
日本紀の局とあだ名された式部が、皇親による摂関就任=古代天皇制の伝統を思いついたから、つまり彼女自身の皇室尊崇念からくるもの…という説に著者は疑問をもっておられたようです。桐壺-朱雀-冷泉-今上と、帝はどんどん凡庸になっていき、今上にいたっては式部が敬意を込めて書いている部分すらないし。

摂政関白や中宮を誰にするか、という物語中の大問題。もし、当の時世をリアルに書いたとしたら、『宇津保物語』国譲巻に見られるような、権門貴族たちによる下品極まるぶざまな罵りあいを書かなきゃならなかったろうし(多分あれが現実)、式部が知ってる権門貴族らの、陰湿で死力をつくした争いをリアルに書いたら、きっと口封じに殺される…と本気で身の危険を想像したんじゃなかろうか。で、ちょっと前の時代小説風に書いてみた、と。何よりも式部が、

「やっぱ物語の主人公たちは皇統よね。皇子さまに皇女さま。んで、ライバルは公卿やその子息女。これに限るわ。だって私、女ですものwwwwwwww」

と世の女達の夢と憧れをてんこ盛りにしてみた、と。
この著者の考え方とてもユニーク。すごく丁寧に問題追求しているのに、最後は、
「だって昔は今よりマシだったって当時の人が言ってた」
「やっぱ物語のヒーローヒロインは皇子さま皇女さまに限るって式部思ってたはず」
ってww今井先生ってけっこうお茶目な人?


・愛のかたち~「もののまぎれ」の実体

現代訳されるとき、一般的に「もののまぎれ=密通」と訳されることに大いに疑問を持っておられる著者。何でもかんでも「密通」で済ますんじゃない!と。女の身分が問題にもならない軽い隠れ遊び程度の浮気から、れっきとした身分の女との重大な逢瀬まで、一見優雅に見える「もののまぎれ」にはいろんなニュアンスがあるのだから、「密通」「事の間違い」で済ませず、もっと慎重に訳すべきなんですね。

ここからさらに、「強姦から始まる2人の関係」説。

物語の大半は強姦から始まり、当人同士が最初から納得した上でのいわゆる和姦はとても少ないんです。身分がほどほどにつり合う貴族男性女性が通常の手続き踏んで結婚する場合、
手紙のやり取り
   ↓
男性をよく知る女房たちが姫に吹聴
   ↓
親たちがウラで結婚の段取り
   ↓
ある晩、屋敷内の空気の異変にちょっと不安になってる姫のもとに男性が。
という段取りがあることを知っていますが、寝所に来る男への愛情が今だわかない限り、男の行為はそれはそれは怖ろしく、抵抗せずにはいられない…ゆえに当時の結婚は女にとって限りなく強姦に近いものだった、という著者の説はかなり納得できるものでした。
関連としてWikiに、
>>『源氏』などのセックスの多くは強姦であると論じ、三田村雅子らの反論を呼んだ
とあります。瀬戸内寂聴大塚ひかり氏などは今井氏寄りかな。三田村雅子氏の非強姦説も知りたいところ。

ひどい結婚といえば、玉鬘や宇治十帖中の君。平安当時の男にとって強姦て日常茶飯事?
強姦しつつ、身分高いその女性に尊敬の念を抱き続ける(柏木-女三の宮、光-藤壺)とか、現代人からしたらありえん話です。


・宇治の大君の死

極度の心痛による自律神経失調(と思われる)の果てに自殺。自殺を願望して飲食受け付けずに死んだのだから、病死ではなく自分の意思で死んだ大君。それと、投身自殺を決行した浮舟。『あの世』を見てきたかのように克明に描く『往生要集』で自殺者の行き着く先は知っていただろうに、地獄への恐怖は自殺を思いとどまらせるほどではなかったんでしょうか。
「このまま生きて世間の笑い者になりたくない」という思いの方が、堕地獄の恐怖より強かったということです。
あと平安時代の自殺事情。自殺は禁止されているのにも関わらず、僧侶の自殺=いわゆる捨身(しゃしん)行為が多数見られます。入水・断食・焼身など。そしてそれらの行為が堕地獄行きではなく、衆生済度に連なる慈悲行為として許されているのです。なぜなら高位の僧侶の捨身(自殺)は、奇瑞を見せるそうな。でも自殺に失敗したら見物人らにののしり笑われたそうです。