『鈴なり星』の雑記

こちらは『鈴なり星』の平安時代物語や創作小説以外のブログです

『黒異本』


『黒異本 外園昌也著 廣済堂文庫 ¥619』

出版社が『赤異本』と別ですが、表紙の不気味さは相変わらず。もし、ほどよく人が混んでる電車の中に人じゃないモノがいたとして、そのテのモノが視える人はこんなカンジに視えるのかもしれない…と思わせる表紙絵。上手いなこの表紙描いた人。普通に電車に押し込まれてる生きた人間と、そうじゃないかもしれない存在の人間の差がはっきりわかる。

中身もかなりパンチのある話の連続。心霊というより嫌な話、忌まわしい話のオンパレード。やっぱこういうのが昨今の実話怪談のトレンドなのかな。ウヘァこんな人に関わりあいたくなーい!っていう話が多すぎる。けど赤異本と同様、文章惹きつけられます。一気に読んでしまった。

「怪句」すごくいい。
”遮断機前の~”の溜まりまくった想い、”重なりし杉の~”の映像美、じわじわ、さらにじわじわくる。誰こんなん思いつくの。

ちょっと冷静に眺めてみた感想。

「団地」という話の冒頭で、怖い話が勝手に集まってくるし、怖い話をいろんな場所で披露すると、向こうからネタが飛び込んでくるし寄ってくるという著者。「人形の話その五」でも、あるネタをもらうとまるで引き寄せられるように次々と類型のお話が集まってくる、ともいってる著者。
変わって、福澤徹三氏は『怖い話』の「怖い怪談」の中で、
『…実話怪談を書くにあたって、もっとも苦労するのはネタ集めである』
と嘆いています。体験者にとっては充分怖くても、読者はそれだけでは怖がらない、と。すごく期待させといて、取材のために気合入れて一席もうけて録音回したのに、聞いた話は全身の力が抜けるほどがっかり…つまり、ネタになりそうな話はめったに聞けないとか。
実際、福澤氏の方が怪談収集の現実だと思う。

では、ネタがなかなか集まらない作家と、ネタが勝手に集まってくる作家の違いってなんだろう。

外園氏はメールやSNSを駆使してネタ集めに励んでいるんですが、
ネット上のやりとりはさかんでも、実際にその人物に会って聞き取りしてないようなんですね。文字だけ(この本を見るかぎりでは)。まさか投稿者からもらった文章を、そのまま鵜呑みにしてないとは思うけど。投稿者が過激に盛ったネタを「この発想使える!」とかだったら、そりゃあネタには困らないし、勝手に集まって困っちゃうwwだわな~と思いました。

そんなネットの各種投稿、心霊写真も含めてですが、よく怪談で、録音したはずのメディア(テープレコーダ、ビデオなど)がクラッシュとかそこだけごっそり消えてるとか、心霊映像がフォルダから消えただのデータ化けして使い物にならなくなっただのあります。ところが、著者のSNSでのやりとりはまったく化けないし、心霊写真のjpgデータも化けない消えないまったく正常。それどころか、著者が嫌ってる人物に送りつけた心霊写真のjpgデータも正常。怪談メールも常に正常(この本見るかぎりでは)。不思議、ホントに不思議です。

ま、要は、
「うさんくさい、でもおもしろい文章だからいいや」
ってことが言いたかったんですけどねw