『鈴なり星』の雑記

こちらは『鈴なり星』の平安時代物語や創作小説以外のブログです

『源氏物語 性の迷宮へ』


源氏物語=性の迷宮へ 神田龍身著
     講談社選書メチエ¥1500』

扱っているものは、宇治十帖。正編は、全くといっていいほど出てきません。

源氏物語を『性』の物語として眺めた時、物語の隠された欲望が明らかになる』

煽情的な宣伝文句ですが、最初、古典に慣れない人のために、飛びつきやすいネタを選んだ入門書かと思いましたが、中身はビックリ、大学の論文調でメチャクチャかたく真面目。なのに、舞台で自己陶酔している俳優を眺めているような文章に見えるのも謎。
もしもし神田先生?妄想し過ぎて何か新しいキャラ設定捏造してませんか?紫式部をそこまで裏読みする?みたいな部分があちこちに見られるのです。

考え方もすごく斬新。正編世界が健康的な性の発露なら、宇治十帖はいかがわしく倒錯的なんですって。
前半は宇治の大君と中の君パート。これらも相当変態チックな考察でしたが、「ヒャー!」と思ったのは後半の浮舟パートの話。

浮舟は、宇治十帖の登場人物全てが無意識に持っている、暗い負の部分の欲望を満たすための究極の媒体であるという考え方。浮舟の存在そのものが、全員を欲望させる装置だというんです。薫や匂う宮はいうに及ばず、実母と義父・女房の右近と侍従・横川の僧都に至るまで、全員が浮舟を、自分自身の暗い欲望のために使い回し、噂を立て、たらいまわしにし、それらが頂点に達した時に浮舟が入水そして出家。
なんかもう、ここらを読んでると、男性の射精感覚でストーリーが積み重ねられている気が。

薫と匂う宮が一人の女を共有するということで、心理的に限りなく接近し、擬似ホモ状態だった、という意見もアリ。
あと、薫の異常な嗜好=人形愛・死体フェチ・マゾヒズム。大君の臨終場面から、形代願望のくだりで、この異常癖を論理的に導きだしているのもわりと衝撃的。
すみからすみまで『性』ネタなのに、考え方はとっても硬派。
大量に源氏物語考が出まわっている中で、あまりお目にかかったことのないタイプの本でした。