『鈴なり星』の雑記

こちらは『鈴なり星』の平安時代物語や創作小説以外のブログです

『殴り合う貴族たち~平安朝裏源氏物語』


『殴り合う貴族たち~平安朝裏源氏物語
      繁田信一著 柏書房 ¥2200』

藤原道雅敦明親王の従者を半殺しにする
藤原能信、右近将監藤原頼行の強姦に手を貸す
藤原伊周&隆家、花山天皇童子を殺して首を取る

と、この本には従来の平安貴族のイメージとは程遠い過激な目次ががこれでもかと並んでいます。

花が散ってはもの思いに耽り、女を恋うてはヨヨヨと袖を濡らし、政治運営は根回しで済ませ…というのが王朝物語に出てくる平安貴公子の典型的モデルなんですが、
『それだけではオスの荒々しい本能が黙っちゃおらんわな』
と、実は現代の不良もしっぽまいて逃げそうなチンピラな一面もあったようです。

今よりも命の重みがはるかに軽んじられていた時代、人間の暴力欲はこんないびつな形で噴出していたということです。
基本は集団リンチ。上級貴族も大喜びで参戦していたのか、あるいは扇一本で家来たちに指図していたのかはその時の状況によりけりでしょうが、フルボッコされて半死半生の被害者を皆で指差し哄笑するって、どいつもこいつも本当に陰湿。『源氏物語』では、葵の上と六条御息所の車争いが『乱闘』の代表的な事件ですが、アレの規模の小さいのは日常茶飯事だったと思います。
物語では、深く恨んだ御息所の生霊が葵の上をとり殺しますが、あの乱闘がもし平安時代の現実の事件だとしたら、恥をかかされた御息所が、「やっちまいな!」と必ずや過剰な報復を企てるでしょうね。たとえ相手がいかなる権門であろうとも遠慮も容赦も無く。

やられた暴力にはさらに過激な暴力で報復し、「ああこれで胸がスッとした」と言うのがこの時代の風潮。花鳥風月の美しい平安文化に反比例して、何という精神レベルの低さ、短絡さ、素行の悪さ。現代でも、学歴教養の高い人が自分の欲望や感情をコントロールできるかといったら、そうでない人がたくさんいるように、高い教養を持つ平安貴族も、自分の思い通りにならないとすぐに苛立ち暴力沙汰を起こす(しかも何の良心の呵責もなし)という実例ばかりを紹介している本です。
なぜそんな凶悪な貴公子ばっかりなんだ!という疑問についての著者の考察は、現代の子育て論にも通じます。